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京都地方裁判所 昭和54年(行ウ)17号 判決

京都市左京区下鴨宮崎町一六六番地の一〇

原告

笠松君子

同所同番地

原告

笠松髙行

東京都荒川区東日暮里五丁目五二番一四号

原告

坪井英子

原告ら訴訟代理人弁護士

谷村和治

京都市東山区馬町通東大路西入新シ町

被告

東山税務署長

福田法史

指定代理人検事

長野益三

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

(一)  被告が、昭和五二年一二月二六日付で、昭和四九年九月五日相続開始にかかる被相続人笠松髙光の相続税につきなした。

1 原告笠松君子に対する相続税額を一億四八八六万一三〇〇円とする更正処分中八一〇三万七二〇〇円を越える部分及び過少申告加算税三三九万八〇〇〇円の賦課決定処分中六八〇〇円を越える部分

2 原告笠松髙行に対する相続税額を二億二六五二万一〇〇〇円とする更正処分中二億一九八八万六〇〇〇円を越える部分、及び過少申告加算税三五万〇五〇〇円の賦課決定処分中一万八七〇〇円を越える部分

3 原告坪井英子に対する相続税額を六〇三五万七三〇〇円とする更正処分中五八五八万九三〇〇円を越える部分、及び過少申告加算税九万四六〇〇円の賦課決定処分中三万一七〇〇円を越える部分

をいずれも取り消す。

(二)  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  当事者間に争いがない事実

(一)  訴外亡笠松髙光は、昭和四九年九月五日死亡し、原告らが、その遺産相続人として、同訴外人の債権債務を承継取得した。

(二)  同訴外人は、救急医療病院大和病院を経営していた医師であるが、原告らは、昭和五〇年三月四日、被告に対し、次のとおり相続税の申告をした。

原告笠松君子(円) 原告笠松高行(円) 原告坪井英子(円)

課税財産額 一億六六二七万三〇〇〇 三億七九三四万 一億〇一〇三万三〇〇〇

納付税額 七八七六万六一〇〇 二億一九二六万二二〇〇 五八三九万七一〇〇

この課税財産額の中には、次のものも計上した。

1 京都信用金庫本店 定期貯金 二億〇三六〇万二六九七円

2 同右 未収利息 五九七万一九八二円

3 同右 普通預金 二〇万二四四八円

4 三井造船(株) 転換社債 三七〇万円

5 (株)日立製作所 同右 七五万円

債務としては、原告笠松君子に対する借入金一億〇九六八万〇一五〇円を計上した。

(三)  被告は、原告らに対し、申告書を出し直すよう求めたため、原告らは、昭和五一年七月一日、前記債務と、1ないし5の財産(端数は、3の普通預金の金額で調整)を控除した相続税の申告書(昭和五〇年三月四日付)を提出し、あわせて、昭和五一年六月三〇日付で蓬莱の庭園についての修正申告書を提出した。

原告笠松君子(円) 原告笠松髙行(円) 原告坪井英子(円)

課税財産額 二億三四六二万五四五七 四億〇四二二万八九二七 一億〇一〇三万三四六二

相続税額 九八二四万一四一四 二億一九五一万一〇四二 五八四六万四〇四四

納付税額 八〇九〇万一二〇〇 二億一九五一万一〇〇〇 五八四六万四〇〇〇

(四)  被告は、昭和五二年一二月二六日、前記控除した資産が相続財産であり、原告らの申告が過少であることを理由に、本件更正処分をし、過少申告加算税の賦課決定処分をした。その内容は、次のとおりである。

原告笠松君子(円) 原告笠松髙行(円) 原告坪井英子(円)

課税財産額 三億四四四九万一九五〇 四億〇四七六万三九七三 一億〇一二一万九八〇四

相続税額 一億六六七五万〇四四七 二億二六五二万一〇一八 六〇三五万七三〇四

納付税額 一億四八八六万一三〇〇 二億二六五二万一〇〇〇 六〇三五万七三〇〇

過少申告加算税額 三三九万八〇〇〇 三五万〇五〇〇 九万四六〇〇

(五)  原告らは、昭和五三年二月二三日、被告に対し、異議の申立をしたが、被告は、同年五月一九日、異議申立を棄却した。

原告らは、同年六月一九日、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、同所長は、昭和五四年七月二五日、審査請求を棄却する旨の裁決をした。原告らは、同年九月五日、裁決書を受け取った。

(六)  本件相続税の課税の経過、申告額の内訳、本件更正処分の内訳は、別表記載のとおりである。

(七)  笠松髙光の総遺産価額は、別表〈1〉の(四)の額であり、原告らの主張する借入金(別表〈2〉〈イ〉)を算入しない場合の原告らの課税価額、算出相続税額、納付すべき相続税額は、本件更正処分のとおりの額に計算上なる。

二  原告ら主張の本件請求の原因事実

(一)  本件更正処分では、別表〈2〉〈イ〉の借入金額を計上していない。

ところで、この借入金は、原告笠松君子が、昭和三二年ころから手許金六二〇〇万円を、手形割引等金融業を営んでいた訴外幸信産業株式会社(以下幸信という)及びその代表者訴外藤田三郎に対して利息日歩五銭で貸し付けて回収した元利金を、預金又は現金等で保管したり、株式売買の運用等に充てていたものを、昭和三八年末ころから昭和四一年初めころにかけて笠松髙光の診療収入に混入させたものである。したがって、右の回収した元利金合計金一億〇九六八万〇一五〇円は、笠松髙光の原告笠松君子に対する借入債務として当然計上すべきものである。

(二)  そこで、原告らは、本件更正処分のうち、右借入金を債務控除額に計上して算出した原告らが請求の趣旨第一項で各主張する額を超える部分及び本件過少申告加算税中原告らが主張する額を超える部分の各取消しを求める。

三  被告の主張

(一)  原告笠松君子が主張する金が、笠松髙光の預金等に混入されたことはないし、同原告が、幸信又は藤田三郎に多額の金を貸しつけたことはない。

(二)  原告らが本件更正処分にかかる相続税の課税について修正申告を提出しなかったことにつき、正当な理由があるとは認められない。そこで、被告は、納付すべき相続税額と原告らの修正申告にかかる納付すべき相続税額との差額(増差額)に一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額を過少申告加算税として賦課決定処分をした。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおり。

理由

一  本件の唯一の争点である原告ら主張の貸付金の有無について判断する。

(一)  成立に争いがない甲第四号証(乙第八号証と同じ)、甲第五号証(乙第一二号証と同じ)、甲第六号証(乙第九号証と同じ)、弁護士大槻龍馬が作成した書面であるから、当裁判所が真正に作成されたものと認める甲第一号証、前掲甲第四号証によって成立が認められる同第二、三号証によると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(1)  原告笠松君子は、昭和三二年一一月二五日から昭和三六年一一月二四日までに、幸信及び藤田三郎に対し、合計六二〇〇万円を、利息日歩五銭ないし五銭五厘の約束で貸し付けた。

(2)  同原告は、昭和三九年三月二五日までに、その全部の返済を受けそれまでに利息として四七六八万〇一五〇円を受け取った。

(3)  したがって、同原告が幸信及び藤田三郎から合計一億〇九六八万〇一五〇円を受け取ったことになる。

(二)  同原告は、この一億〇九六八万〇一五〇円を、昭和三八年から昭和四一年までの間、笠松髙光の営む大和病院から毎日届けられた医療診療収入に水増記帳をしたと主張し、前掲甲第一号証、同第五、六号証、成立に争いがない同第七号証中には、これにそう記載がある。しかし、これらの記載は、後記認定事実と対比して直ちに採用できないし、ほかにこの主張事実が認められる証拠はない。

(三)  却って、成立に争いがない乙第五ないし第七号証、同第一〇、一一号証によると、次のことが認められる。

(1)  大和病院では、診療収入のうち、現金収入(保険による場合の初診料、家族の負担分、文書料、保険によらない自由診療費など)を、除外し、この除外した現金を毎日袋に入れて同原告の自宅に届けていた。

(2)  同原告は、開業以来病院収入のうち現金収入を全部把握し、このようにして届けられた現金を、毎日正確に手帳に記帳していた。

この手帳に記載された額の合計は、次のとおりである。

昭和四〇年分 九三四四万一〇〇一円

昭和四一年分 一億一八四二万五三五三円

昭和四二年分 一億一五九〇万四〇二七円

そうして、これらの除外された現金は、銀行の無記名定期預金、架空名義の定期預金にされ、有価証券購入資金に充てられた。

(3)  大和病院は、昭和二八年五月、二〇床の病院として開業し、昭和三九年二月、新館(六階建)を建て、収入が著増した(この項は、前掲甲第六号証によって認める)。

(4)  同原告は、昭和四〇年三月ころ、金一〇〇〇万円で丸玉寮を取得し、同年七月ころ、金一六二四万円で岩倉の土地を取得したが、このとき、笠松髙光の金を流用した。しかし、同原告の金を、笠松髙光の方に出したことはなかった(乙第六号証の問九参照)。

(5)  笠松髙光は、昭和四二年末ころで除外定期預金が、二億五〇〇〇万円になっていることを、原告笠松君子の報告によって知った。

(6)  原告笠松君子は、不動産売買や株式売買により利益をあげたり、家賃収入をえていたが、笠松髙光の財産とは、峻別していた。したがって、同原告の利益が、笠松髙光の財産に混入することはなく、逆に、笠松髙光の除外した収入が、同原告に流入する可能性はあった(乙第七号証の問一四参照)。すなわち、同原告は、除外した現金、これによって購入された有価証券、無記名定期預金などのすべてを管理していたのである。

(四)  以上認定事実からすると、同原告が、一億円以上もの金を混入して記帳したとすることは、極めて不自然であり、そのような事実はなかったとするほかはない。

もし、同原告が主張するような混入があるとすると、次の疑問が生じる。

(1)  同原告は、一億円からの金をどこにどのようにして保管していたのか。

(2)  同原告は、なぜ、そのような多額な自己の金を混入する必要があったのか。

(3)  同原告が、毎日、いくら混入したのかを証明する資料はない。そうであれば、同原告の主張する一億〇九六八万〇一五〇円の全額が、何時どれだけ混入されたかが正確に判らないではないか。

(4)  同原告は、昭和三八年から昭和四一年までの間混入したと主張しているが、同原告の混入したという一億〇九六八万〇一五〇円が、笠松髙光に対する貸付金としてどのような形で残っているのか。

(5)  同原告は、昭和四〇年中に多額の不動産の購入をしているが、通常人であれば、手持金一億〇九六八万〇一五〇円から支出すると考えられる。同原告は、なぜそうしないで、混入することをしたのか。

(6)  大和病院の収入のうち除外された現金の増加傾向は、昭和四〇年から昭和四二年へとゆるい傾斜になっている。

もし、原告らの主張する貸付金が入っているとすると(すなわち、前掲甲第六号証で原告笠松君子が供述するように、昭和三八年に一〇〇〇万円、昭和三九年と昭和四〇年にそれぞれ四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円、昭和四一年に若干額が混入しているとすると)、この傾斜が、不自然なものとなる。しかし、それでは、前述したとおり、昭和三九年に新館が建てられ、収入が著増したことと合わなくなる。

(五)  まとめ

このようにみてくると、原告ら主張の貸付金があったとすることは、到底無理である。

二  以上の次第で、被告が、本件更正処分で、原告ら主張の貸付金を債務控除額に計上しなかった措置は、正当であるというほかはない。そのほかの原告らの相続税の計算関係は、当事者間に争いがない。

三  原告らの相続税の申告が、過少であることは、明らかであるから、被告がした過少申告加算税の賦課決定処分にはなんらの違法な点がないことに帰着する。

四  むすび

原告らの本件請求は、失当であるから棄却し、行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 古崎慶長 判事 小田耕治 判事補 西田眞基)

別表 課税経過表

〈省略〉

〈省略〉

(注) 原告主張欄の( )の金額は、原告主張額に相違があると認められるので、原告主張にかかる納付すべき相続税額を基として算出した金額である。

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